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一日茶弐半暖饕
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手のデッサン
今日は手のデッサンをした。

途中、色々なことが頭をよぎりそうになった。けれど、そんなことじゃ続きの線が引けないから、描くことに専念するよう心がけた。

出来上がったブツを眺めて思う。「だめだこりゃ」。でも「明日こそは」と思えることがうれしい。

昔のように「もう一枚!」とはならない。疲れて次がなくなることを防止するためだ。時にはのめり込むのもいいかもしれないが、今は自制。
ここに来て「自分はなんと臆病だったんだろう」と振り返っている。

昔、絵を描く時、とても神経を使っていたように思う。特に細いペンで描く絵が好きだったため、ペン入れの際には細心の注意を払ったものだ。

筆を取れば、細かい絵を描きたくなる衝動は押さえられないだろう。しかし、それで病気が悪化するのではないかと言う恐れもある。実際それで絵を禁止されたこともあるため、私の単なる思い込みでもなさそうであるし…。

そしてほとんどの心の病がそうであるように、私の疾患に関しても、衰えや妥協は付きまとってくるのだろうなと内心泣いた。心の均衡が保たれる前に、それまでできていたことの半分もできなくなってしまうのではないかと…。

できない自分を見るのはいやだ。だから、最初から雑なスケッチにとどまろうかとも思った。以前のように行かないのなら、味で勝負。と言う誤魔化し。

しかし実際描いてみて、この作業には色々な要素が含まれていることに気が付いた。例えば、目が輪郭を捉える、線を引く、影を捉える、質感を感じるetc…。

絵を描くこと自体には没頭するが、恐れていたほど自分を追い込んではいないようなのだ。それどころか、使っていない注意(神経)を解いていっているような開放感すら覚える。

厄介なのは、不意を付いて昔の忌々しい思い出が浮き出てきそうになること。それは「ああ、潰しすぎた。消しゴムで修正できるだろうか?」「よく見てみたらこの影は反射したものじゃないか」と、ひるんだ隙を付いてくる。

「いや、丁寧につくろえばいける!」と、すぐに立ち直るのがいい。ひるみっぱなしだと足元を救われ、それこそ神経がズタボロにやられてしまう。そして、それこそが私の普段であることに驚いた。なんて疲れる日々を送っているんだろう!

先生のおっしゃっていた美術教室、行ってみたいな。黙々とデッサンを続ける教室と聞いているけど、石膏のデッサンをしてみたいんだ。

「いつかきっと続きはある」と、美術大学への希望を絶った14年前の冬。あれをあきらめの言葉にはしたくないなあ。
Posted by Kco.
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