Calender
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< May 2017 >>
Recommend

Selected Entries
Recent Comments
Recent Trackback
Categories
Archives
Bookmark
Profile
Search This Site
finetune
Others

TOY☆BOX

一日茶弐半暖饕
<< 白い光 | main | お引越し >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

Posted by スポンサードリンク
- / / - / -
里親制度
旦那君、テストをまたも間近に控え、猛勉強の子。
小学二年生に上がる前だったか、母が近所の奥さんと里親のことについて話していた。「金が欲しくて子供を引き取るらしいわよ」「やあねえ」と。日本の話なのか外国の話なのか詳しいことはわからないけど、多分私の行き場を探し回っていたのだと思う。

ちょうどその頃、母から「この家を離れることをどう思う?」と聞かれた。意味がわからなくて首をかしげていると「施設で暮らすってことよ。お父さんと離れるの」私は「行く」とだけ答えた。「お父さんと別れるのはいや」とか「お母さんとも別れるの?」とか「Mちゃん(妹)も一緒?」なんてことは言わなかったし考つかなかった。母はくるっと背中を向けて、それ以来その話はなかった。

他にも私の学校を変えるだとか変えないだとかで両親が夜中話し合う日が続いていた。父は「あいつは馬鹿だ」「知恵遅れだ」と言い、母は「早生まれの上に転勤続きでまだ落ち着いていないのよ」と反論する。「お前にはわからん話だ」と部屋を追い出されるも、内容はよくわかっていた。

沖縄から引っ越してきて以来の親友、Sちゃんと別れるのがいやで「学校変わるのはいやだ!」と、そこら辺の意思表示はしっかり。

母は情緒不安定だったのだと思う。「Kco.はどこに行けばいいの?」と、居たたまれなくなって質問すると「貴女、自分が悲劇のヒロインだとでも思ってるの?」と突っかかってきてピチピチ叩く。そうなると「そんなことありません」と、うつむくより他ないわけで。

それでも母は、私を助けるために躍起になっていたのだと思う。術が奪われるたびにキレてしまい、私に当たる。自分は悪くないと頭を抱えて叫ぶ。私はとっくにあきらめていたけど、母はまだ頑張っていたのだろう。万策尽きたのはちょうどその頃だ。なにも改善策が持ち上がらなくなっていた。

私と言えば、幼稚園の時に見捨てられたと思っていた。「もうKco.ちゃんの味方はしてくれないの?もうやさしいお母さんじゃないの?」振り返ってもくれない母のスカートの裾を引っ張ってシクシク泣いていた。母は後ろを向いたまま「貴女が悪いのよ。いえ、悪くはないわ。ただ、お母さんにはなにもできない。耐えなさい。耐えるだけでいいの。お父さんが間違ったことをしても、言っても、反論せずに、時間が過ぎるのを大人しく待ちなさい。泣いちゃダメよ。あの人は女の泣き声がきらいなの。泣けばもっとひどくなるわ。頑張るのよ」そう言って、やはり振り向かず部屋を出て行ってしまった。私は呆然と立ち尽くすより他なかった。

それは事実だった。真っ赤な状態でベランダに放り出されても、母はシャツ一枚差し入れてくれなくなった。父に言われるまま、ベランダの鍵を閉め、すぐさま布団に戻ってしまう。

それまでは「せめてなにか上着をあげてもいいでしょう?」と父に伺う声が聞こえていた。大抵は「かまわん。あんなヤツ死んでいいんだ」と言い捨てるのだけど、たまに「一枚だけだぞ。甘やかすな」もしくは「もう入れてやれ」と、部屋に入る事を許してくれることもあった。部屋に入れてくれても直立不動で朝まで立たされるため、私にとってはどっちもどっち、と言うか、息遣いまで監視されるため、実は寒くてもベランダの方がよかったのだけど、母の気持ちがうれしかった。世界中から鼻つまみにされる私が、許された気になれたから。

暴力がひどい時、母はその後も「しんじゃうー、しんじゃうー」と悲鳴を上げることがあった。けど、そうなると父はムキになって、これ見よがしに残酷な実験をはじめるため、母は妹を連れて他の部屋に非難するようになった。自分がいたら事態を悪化させると思ったのだろう。それくらいは当時の私にもわかっていた。

なにをしても裏目に出る。どうしても私を救えない。その内虐待に加担するようになり、加担どころか影で虐めるようになってしまった。母からの虐めは父が止めてくれる。妹からの虐めも父が止めてくれる。妙な図式が出来上がった。

死ぬんだろうな、と脳裏をかすめることはあっても、それすら許されなかった。「お前なんか殺そうと思えばいつでも殺せる。だがそうはしない。苦しんで罪をあがなえ。苦しんでも苦しんでもお前の場合は足りないんだ。苦しみを与える俺の立場を考えろ。お前のせいで」そうやって、地球の裏側で起こった事件やら、他人の失敗、自分の失敗、世の歪み、不道徳なこと、破廉恥なこと、ずるいこと、浅はかなこと、思いつく全ての悪いことを私に投影してボコボコにするのだ。「いつかお前も悪いことをする。それを今の内に戒めておく」ためらしい。これでもまだ筋が通っている方だ。「もうわかりました」と観念しても「本当にわかったのか?言い切れるのか?神に誓えるのか?」そして「友達が拷問に掛けられても口を割らないのか?」とか「自分の子供が飢え死にしそうでも本当に盗みはしないのか?」と、色んな場面を想定して問い詰めてくるため「絶対ではないです」と、前言撤回せざるを得なくなる。「絶対」私は許されなかったのだ。信じられなかったのだ。私も自分が信じられなくなってしまった。信じる信じないの前に、なにもかも、わけがわからなくなっていた。

それが成人して、父は私が高校の時他界したのだけど、母が狂ってしまって、私は命からがら親戚の家に転がり込んだ。そして、広島に集中する親戚を転々と回った。心から快く迎え入れてくれる家なんて正直言ってないけど、それでも私にとって、家族らしい家族に触れることは必要だったと言い切れる。

「よく働いてくれるけど家族でゆっくりしたい」そう言う理由で次、次、と親戚をたらいまわしにされた。不憫に思った寺のおばあちゃんが、1人暮らしがモットーのそのおばあちゃんが「不動産屋に行け。行っていい所が見つからなかったらワシの所に住めばいい」と言ってくれた。それは本当にうれしかった。

けど、おばあちゃんは資産家で、しかも面倒を見ている娘さんがおり、私の存在は彼女を脅かせることになると言う事で、その夢は胸にしまうように従姉から注意された。それもその通りであるし、そもそも私は血縁から離れなければならないことに気が付いていた。どうも父が荒れた原因が親戚にあったようなのだ。

そのことは誰にも言ってない。話した所で解決できない問題なのだ。中心角の2人は他界しており、残りの1人はアルツハイマー。もう過去の話なのだ。大切なのは私が自分を許すこと。

とにかく、本当に素晴らしい体験をさせてもらった。その後のW家は特によかった。私への理解は最悪だけど、それは私自身墓穴を掘った部分もあって仕方がない。けど、大雑把な家族でノビノビ羽を伸ばすことができた。伸ばしすぎて息子をさらってしまったくらいだ。ごめんなさい。

様々な家庭に触れて、いいことばかりじゃないけど楽しいことの方が多い絆、心強い絆を知った。そして、その輪の中に少し入れた。世界観がガラリと変わった。まだまだだけど、その経験で心がかなり成長したと思う。そんなわけで里親制度に興味があるのだ。私の経験は、養護施設や病院ではなく、里子にかぶる気がしたから。どうせなら、自分がいいと思える所に力を注ぎたいし。

私はなんやかや言って気が変だから、直接子供と触れ合うのは、子供にとってよくないのかもしれない。何度も言うけれど。直接的じゃなくてもいい。なにかしたい。のだ。
Posted by Kco.
diary / 16:36 / comments(4) / trackbacks(0)
スポンサーサイト
Posted by スポンサードリンク
- / 16:36 / - / -
COMMENT
子どもって、守ってくれる大人に抱き上げてもらう必要があると思う。
肌のぬくもりと、自分を呼ぶ囁きを安心して聞いて、自分の存在を受け入れる必要がある。
乳児院では、被虐待児たちがずらっとならばされて、順番に浴槽につけられて、手際よく洗われ、ミルクを数字通りに機械的に与えられる。職員が足りないから、いちいち抱き上げて、一緒にお風呂にはいってあげられない。
里子制度は理想的だと思う。私もなにかしたいな。
| Vam. | 2006/12/12 5:48 PM |
引越しでプロバイダ変わったら
あのサイトスペース消えると思うんだ

そこで ブログを統一しないかい?
| うんこプリン | 2006/12/26 9:54 AM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2006/12/26 12:20 PM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2006/12/26 1:05 PM |









Trackback URL
http://sea-girt.jugem.jp/trackback/269
TRACKBACK